郷土資料ミニ展示コーナー No.10

「消暑漫筆 正編 十編百冊」 文化五年(1808)成立

「続 消暑漫筆編 五編五十冊、大日本史六十五冊」 文政元年(1818)成立

松原基編著

松原基は松江藩士(〜文政3年没)、儒学者。藩の右筆(文書・記録の役)として膨大な書物を読破し、編著しました。
消暑漫筆正続の収録資料は出雲に関するものだけでなく、古今の名著が収録され、「大石良雄書翰」「五十感慨文(自伝)」「松江大橋改造年数」「贈十六島苔五絶」「海国兵談」「藩翰譜」など1500余点に及び、広範多岐です。
また、松江藩初代から天明年間までの藩の政令をまとめた「松江藩国令」を編集しています。

  • 参考資料 
    • 「松江藩学芸史の研究」 佐野正巳著 明治書院 1981
    • 「松江市誌」 松江市刊 1941 
    • 「島根県史9(復刻版8)」 島根県刊 
    • 「三百藩家臣人名辞典 5」 新人物往来社刊 1988
    • 「近世藩法資料集成 3」 冨山房 1944
    • 「列士録」松原項

郷土資料ミニ展示コーナー No.9 出雲・石見名所歌集

出雲・石見名所歌集

当館に所蔵する出雲・石見の名所を詠み込んだ江戸時代の歌集を紹介します。

「出雲国名所歌集 初編」

富永芳久編著 嘉永4年(1851)刊

出雲国の名所・旧跡を詠んだ和歌集。作者は出雲の歌人だけでなく、本居宣長や内山真龍の名もみえる。
名所は杵築宮(出雲大社)、三穂社(美保神社)、素我社(須賀神社)等、75ヶ所、和歌は152首。
富永芳久(18131880)は国学者、歌人。出雲北島国造家の社家に生まれ、千家俊信に師事し、国学を修めた。
著書に「出雲風土記仮名字書」「出雲国名所集」「出雲国五十歌撰」「三十六歌撰」等。

「出雲国名所歌集 二編」

富永芳久編著 嘉永6年(1853)刊

名所は天日()隅宮()(出雲大社)、葦原社(葦原神社)、杵築社等、121ヶ所、和歌は194首。

「石見名所方角図解」   1冊

香川景隆、大江景憲撰 安永三年(1774)序成立、文化七年(1810)写
石見の名所高角山、鴨山等37ヶ所を詠み込んだ和歌を記し、各々の景観図を添えている。
撰者、香川景隆は石見の歌人として著名で、茶道・華道・篆刻等にすぐれた人物であった。

  • 参考文献 
    • 「出雲国名所和歌集 -翻刻と解説-」 芦田耕一、蒲生倫子著 ワン・ライン 平成18年刊
    • 「石見国名所和歌集成」 石見地方未刊資料研究会刊 昭和52年刊

郷土資料ミニ展示コーナー No.8 松江藩 落合家武道関係文書

松江藩 落合家武道関係文書

『雲藩武道史』には出雲の武道の前史として、すもうの元祖野見宿弥、枕木山麓に生まれたといわれる弁慶、月山城の英雄山中鹿介があげられています。その後、藩政時代にも松江藩は直信流柔道、不伝流居合、新当流剣術、一指流管槍、樫原流鍵槍の五つを御流儀として継承してきました。
今回は当館に所蔵する「落合家文書」の中から武道関係文書3点を展示しました。

「直信流皆伝免許状」

直信流は寺田勘右衛門満英(1618〜1674)を開祖とする松江藩の御流儀柔道です。寺田は初代藩主松平直政に召抱えられ、門弟は数百人、越前(福井)や美作(津山)の松平藩にも及んだといわれます。
井上治部太夫正順は直信流の四代目にあたり、直信流中興の祖と呼ばれています。
井上は気合の達人でもありました。

「不伝流剣術伝書」

不伝流は伊藤長太夫次春がおこした松江藩の御流儀居合です。浅山内蔵入道一伝(一伝流)の門弟となり、後に不伝流をおこしました。正徳年間(1711〜1715)に松江藩に召抱えられ、松江藩不伝流剣術師範となりました。

「一気流砲術皆伝免許状」

一気流はもと木戸流といい、荒木理外氏光を流祖としました。仙石猪右衛門を経て荒川扇平に伝わりました。
松江藩における砲術では一番六番小屋が定められていましたが、一気流は玉方(鉛製の円丸を使用)として四番小屋を称していました。

  • 参考文献 
    • 「雲藩武道史」福田明正著 松江今井書店 昭和40年刊
    • 「島根県剣道概史」福田明正著刊 昭和59年刊
    • 「雲藩職制」歴史図書社 正井儀之丞 昭和54年刊
    • 「武術浅山一伝流」小佐野淳著 愛隆堂 平成2年刊
    • 「松江地区柔道連盟六十周年記念誌」平成20年刊

郷土資料ミニ展示コーナー No.7 「養法院実筆和歌集」

「養法院実筆和歌集」 1巻

元禄13(1700) 養法院書写

養法院 [ 寛永8年(1631)〜宝永4(1707)] は松江藩2代藩主松平綱隆の側室。父は初代直政に右筆として仕えた平賀半助、弟は綱隆代の国家老として二千石を給された平賀縫殿。
綱隆の没後は養法院と名乗り春日村で余生を送ったといわれるが、弟の失脚後は寂しい晩年であったという。
わが子吉透は松江藩4代藩主となったが僅か一年余で急逝した。77歳で没。武家の女性として知性と教養にあふれ、特に流麗な筆跡の能書家であったといわれる。
本史料は巻子本に仕立てられており、1月から12月までの和歌12種掲載。奥書より養法院70歳の時の書写と思われる。

卯月

 卯のはな垣ね雪はつかしく、又めつらしき詠めに候 心は
   えんにふれてうつるならい、爰ををもひかしこにうつり
   しはらくもやむ時なく候
 一声を聞きひめて社郭公 鳴に夜ふかき夢は さめけり

  • 参考文献
    • 「島根県大百科事典」 
    • 「島根県立図書館『養法院実筆和歌集』」について」山崎真克著 
    • 「雲陽誌」「雲陽秘事紀」